「北海道の旅は『眼(ガン)の飛ばし合い』から始まった」その2

名工業高校
藤川 秀一
(その1のつづき)
さて午後からは札幌大会第1日目が始まりました。私にとって同感することの多かった田中容子先生の基調発題「授業を生活指導から問い返す」については、熊本大学の白石先生の報告をお読みください。
2日目の午前中は、静岡高生研の前田浪江先生の「わがままなA子が成長できた理由(わけ)・A子の人間関係づくりに寄り添って」の分科会に参加しました。定時制高校に学ぶ15名の男女生徒たちの葛藤が「わがままなA子」を軸に生き生きと描かれていました。A子は、「かっとなってこぶしで窓ガラスをたたきつけ、割ってしまったり」「自分に気に入らないことがあると机を投げる」という人間関係がトラブルだらけのわがまま娘です。このわがまま娘が、英語劇で「美女と野獣」の主役・ベルを演じ、発表のあと「本当に男子に助けられた。舞台の始まる前泣いちゃたし、いろいろ不安でたまらなかった。でもビーストも王子もガストンもすごく落ち着いていて私をリードしてくれた。だから安心して私も演技ができた。ビーストなんかすごく紳士だし、王子は練習の時と全然違ってすごくリードしてくれてびっくりした」と、前田先生がびっくりするような成長した言葉を語ります。その言葉に対し前田先生は「A子、そのことをきちんと男子に伝えなよ。感謝を言葉で表
しなよ」と語りかけます。いい場面ですね。
このレポートでさらに興味深かったのは、前田先生のクラスづくりと、同僚でありこのクラスの英語の授業を担当している絹村先生の授業における英語劇の取り組みが密接に絡み合っており、クラスづくりと授業づくりが協同の取り組みとなっていること、その協同が生徒たちを成長させているところです。複数の教師から暖かく見守られている幸せな生徒たち。
午後からは、石川県の岡山和美先生の「人と出会い、つながる、コラボ授業」の分科会に参加しました。岡山先生は能登半島の西側にある普通科高校の家庭科教師として、この8年間生徒たちが「異質な他者」、自分や普段よく接する人とは違った世代(立場、境遇など)の人との出会いをいろんな場面で仕掛けてきました。
例えば保育園の子どもたちとの出会い。その出会いは一度で終わらず、「数週間後の2回目の実習までの授業では、『子どもたちにプレゼントしよう』とグループごとに準備させます。・・・当然、2回目の生徒の行動や表情、感想は1回目とかなり変わります。」2回目までやるところが素晴らしい。
自己実現している大人との出会い。の実習にさらにプラスして「のまりん(野間成之さん)の紙芝居」を保育園と高校の合同企画として実施。
精神障害者地域活動支援センターとの交流。「2年前は、通所者の一人の方が書いた自分史のワープロ入力を高校生が引き受けました。入力しながら、生徒は、明るく見えるその方の、発症の経緯や症状の特徴、深い苦悩などを知ることが出来ました。」
そして「食」を通じて出会うさまざまな人たち。
このようなさまざまな出会いの中で、学び・成長していく生徒たちの姿が浮かび上がってきます。
私は生徒たち同士の出会いと発見も、もっと意識的に取り組んで良かったのではと思います。例えば「(郷土料理でお客様をもてなしている郷土料理研究家)のA先生の料理は決してまずいとは思わなかったが、個人的には物足りない感じがした」という生徒の感想は、それを一度生徒たちに返して、生徒たちに「A先生の料理はうまかったのか、まずかったのか、どんな風に物足りなかったのか、あるいはそうでなかったのか、などなど」を考えてもらい、それを整理して、もう一度生徒たちに返すということを繰り返したら、「食」との、そして生徒同士の新たな出会いと発見が生まれたのではないでしょうか。
夜は110名が参加する大宴会。昔のようにひとつのホテルに参加者全員が泊まるのではなく、参加者それぞれが別々のホテルに泊まる今の都市型大会では、このような大交流会もいいかも。お国自慢の時間なども設定せず、ただひたすら参加者同士がおしゃべりし、交流する機会にしたらどうでしょうか。(これは比嘉先生のご提案)
そして3日目は沖縄の比嘉靖先生の「『目の前の子どもたち』と『大きな物語』をつなぐもの」。二年前の九州・沖縄ブロックゼミ以来久しぶりに比嘉節を堪能しました。あのような魅力的かつ迫力のある語り口で迫られたら、生徒たちも乗らざるを得ないのでしょうね。比嘉先生が高校教師として生徒たちを飛躍的に成長させていった姿と沖縄という地域(名護市大西区)に住む一人としてこころ通じる有志の人々と語り込みながら地域を再生させていく姿が、普天間問題を軸に「大きな物語」として描かれます。高教組の教研におよびして熊本の多くの人たちに聞かせたいお話しでした。
今回、熊本高生研会員を継続していただいた木村一男(青森)・絹村俊明(静岡)・詫間秀雄(大阪)・井沼淳一郎(大阪)・比嘉靖(沖縄)の皆様、新規に会員になっていただいた望月一枝(秋田)・内田理(埼玉)・高垣美幸(神奈川)・久田晴夫(愛知)・前田浪江(静岡)・牧口誠司(大阪)の皆様、有り難うございます。熊本高生研会員通信担当が、「さわらび」に学びつつ、読み応えのある「スコブル」をお届けすることと思います。ご期待下さい。
9日、お昼を札幌市役所食堂でいただきました。醤油ラーメン(なんとたったの400円)美味しかったです。
最後に北海道高生研の皆様、楽しいかつ有意義な全国大会を設定いただき、有り難うございました。お世話になりました。
以上

「北海道の旅は『眼(ガン)の飛ばし合い』から始まった」その1

名工業高校
藤川 秀一
とは言っても、私の「眼の飛ばし合い」の相手は虎さんでしたが。
8月4日、新千歳空港に降り立った私は、一路旭川を目指しました。気温23度、さすが北海道は涼しい。(と思ったら6日からは35度という猛暑が北海道を襲った。何のためはるばる北海道に来たんだろう?)
翌5日は、あの天下に名だたる旭山動物園に開園と同時に入園しました。そして出会ったアムールタイガーさん。柵で守られた安全地帯から、私がトラさんを睨み付けると、トラさんもじーっと睨み返します。そして息詰まる数十秒、ふと「メガネを掛けたまま睨み合うのはトラさんに失礼かな」とメガネを外すと、なんとトラさんは「ふっと笑ったようにして」視線を外したのです。あたかも「もうお前とはやっとられんよ」とばかりに。
何ででしょうね、それまでの息詰まるような見つめ合いが溶けてしまったのは。メガネを外すと眼の焦点が合わなくなって、トラさんとしてはアホらしくなったんでしょうかね。教訓、眼(ガン)の飛ばし合いではメガネは外さないこと。
旭山動物園を後にした私は、大阪高生研の皆さんが待つ小樽へと向かいます。最高級駅弁「海鮮てんこめし」とサッポロ生を味わいながら。ホント真っ昼間からビールを飲むってのは何にも換え難い快感ですね。
小樽駅に降り立った私は、福岡高生研の押場先生と出会い、大阪高生研・青少年自立支援センター「ビバハウス」共催の全国大会応援プレツアーの皆さんと合流しました。
まず小林多喜二in小樽の足跡をたどるツアーで多喜二の歌碑やデスマスクの展示してある美術館を訪れました。多喜二については、特高警察にまとわりつかれたその晩年を描いた、井上ひさしの遺作となった戯曲「組曲虐殺」(集英社)がおすすめです。
余市に移動して次は大阪高生研企画「この人に聞くin余市 安達俊子氏に聞くふたたび」です。25歳の過酷な状況にいる教え子の女性を救うために急遽「ビバハウス」の立ち上げから始まった安達夫妻の奮闘を興味深く聴きました。関心のあるかたには私が購入しました「ひきこもりの若者と生きる・自立をめざすビバハウス7年のあゆみ」安達俊子・尚男、高文研をお貸しします。
そして10時からは大宴会。ここでは大阪高生研の牧口先生とのお話しが抜群に面白く、刺激的でした。ライダーの牧口先生は、マシンを駆ってこの夏すでに九州の三カ所で「出張シェフ」をやったそうです。そうなんです、牧口先生は料理の達人なんです。求めに応じて、ナント鹿肉(九州では鹿肉が手にはいるそうです)のイタリア風カルパッチョ8品をそれぞれで供してきたそうです(本当はラムがいいそうですが)。ヨダレがでそう。1ヶ月に一度くらいはお友達を招いて自慢の料理を振る舞うそうです。牧口先生のお友達になりたいですね。
牧口先生が近くにいらっしゃるのでしたら、LHRの料理天国に牧口先生を講師に招いて「馬刺」のイタリア風カルパッチョを生徒たちに伝授してもらえるのに、残念!せめて来年の名古屋大会で交流会のひとつに「イタリア風カルパッチョを学ぶ」というのが出来ればと思います。
5日の午前中は余市ニッカウィスキー工場見学。10年もののシングルモルトと17年もののブレンデッドを味わいました。美味しかったです。
さて午後からは札幌大会第1日目が始まりました。私にとって同感することの多かった田中容子先生の基調発題「授業を生活指導から問い返す」については、熊本大学の白石先生の報告をお読みください。(その2につづく)

「当面5年間はおじさんおばさんの同窓会参加型パワーに依拠して全国大会を乗り切り、その後は大阪の3人組の創造力に期待しよう」

名工業高校
藤川 秀一
総会での組織検討委員会からの提案に基づいての論議、結論としては「おおむね案を可決し、仮事務局の事務局長と財政担当の人選を含めて12月の全国委員会でさらに論議する」というものだったと理解します。私は、現全国常任委員会の下で2011年の名古屋大会・2012年の東京大会までは実現できるとしても、新しい「全国高生研」の下での2013年の大会は、今のペースで果たして実現できるのか、深い憂慮の念に囚われました。
熊本高生研からは、2008年の青森大会には50代の私の他に30代から40代前半の5名が参加し、09年の大阪大会には50代の正清・藤川の他に10名の20代から40代前半の人たちが参加しました。今熊本高生研が元気なのは、全国大会からもらったパワーのおかげだと思います。
今回の札幌大会の全体的な参加者の年齢構成をみると、確かに50代以上のおじさん・おばさんの参加者が多数を占めていますが、20・30代の参加者も結構いました。2013年大会が実現できなければ、そのような若手の人たちへの影響は計り知れないものがあると思われます。さらに2ないし3年に渡って全国大会が途絶すれば、もはや回復不可能となるかもしれません。まぁ大阪の3人組にとっては、それくらい徹底した方が新しいものが生まれてきやすいということかもしれませんが。
総会後大阪の井沼さんが「50代以上のおじさん・おばさんたちが同窓会に参加するみたいな気分で全国大会が成り立っている限り、全国高生研の未来は暗いですよ。」と、ぶつくさ言ってましたが、私は「おお、それ結構じゃない。大阪の3人組がこれからの全国高生研についての大きな見取り図(沖縄の比嘉先生の言うペーパーかな?)を描いて、それが全国の会員の賛同を得て実現できるまで、あるいは彼らを中心とした別の新しい「高生研?」が誕生するまでには、少なくとも5年くらいはかかるだろうから、それまでは50代以上のおじさん・おばさんたちがとりあえず同窓会参加型パワーで全国大会を実行していけばいいんじゃない」と、こころの中で密かにつぶやいていました。皆さんいかがでしょうか。

高生研札幌大会成功!ありがとうございました。

 北海道では記録的な暑さとなった3日間でしたが、高生研札幌大会も全国・全道からの参加者の皆様のおかげでなんとか成功させることができました。本当にありがとうございました。
 大会参加者は全体で140名、北海道だけでも52名もの参加がありました。全体的な数は大会予算を立てる時の目標どおりでしたが、北海道から50名以上の参加というのは予想を超えています。心配していた大交流会(北海道と高生研の夕べ)も、109名もの参加者がありました。会場がせまい、食べ物が足りないという不十分な点もありましたが、アトラクションの寸劇(教師物語PART1)の出来も素晴らしく(とても2時間半で作り上げたとは思えません)、また一村一品も各地のみやげ物・みやげ話でおおいに盛り上がることができました。最後に参加者全員で唄を歌った時、その歌声が会場に響き渡るのを聞いて、この大会、そしてこの交流会をやって本当に良かったと感じることができました。
 もちろん講演・基調発題・分科会など大会全体の「学び」の内容も素晴らしく、北海道から参加されていた先生方は、「さすが全国の高生研のレベルはちがう!」と皆さん驚かれ、また大きな刺激を受けていました。そして、なによりもこの大会の開催をとおして、北海道各地の、さらには北海道と全国各地の先生方との「つながりなおし」が出来きたことが一番大きな成果だったと思います。
 全国大会を北海道で開催することが決まったのが、わずか1年半前ということで、現地では十分に準備することができず、全国高生研の皆様や北海道の実行委員の皆様には、大変ご心配やご苦労をおかけしました。それでも、なんとか全国大会を成功させることができたのも全国や北海道の皆様のおかげだと思っています。これまでの全国大会とは違って、彩りも派手さもおもてなしもなく、シンプルでコンパクトな全国大会でしたが、これも北海道らしさということでご理解下さい。また、この程度であれば北海道でも開催できるということで、これから全国大会を引き受けるところの見本にもなったのではないでしょうか。
 最後にこの応援ブログを通じて札幌大会の成功のために応援してくれた全国の皆さん、そしてブログの開設・管理をしてくれた安藤さん、本当に有難うございました。今後とも、この大会を通じて出来た「つながりあい・学びあい」を、それぞれの地域の高生研や民教などの活動を通して、さらに発展させていきましょう。
来年は名古屋ですね。今度は北海道からしっかり応援していきたいと思います。
それでは、今後ともよろしくお願いします。(高生研札幌大会事務局長・川原茂雄)

札幌大会いよいよ始まります!

  すでに北海道・札幌に向けて出発された方もいることと思います。実行委員会の現地としてはもう大会は始まっているという感じですが、全国・全道からの参加者の皆さんをお迎えするために準備ばんたん整いましたという状況ではありません。むしろ準備はまったく不十分で、ほんとうに全国大会をきちんと開催・運営できるかどうか不安いっぱい、心配いっぱいというところです。それでもなんとか全体の参加者も120名をこえ、心配した大交流会も100名の申し込みを達成しました。これも、ここまで実行委員会をささえてくれた全国と全道の皆さんのおかげだと感謝しております。あとは、全国・全道から参加された先生がたに、札幌で全国大会をやって良かったと言っていただけるよう、大会本番を成功させることですが、そのためには全国・全道の先生がたのご支援・ご協力を最後までお願いいたします。不安も心配もいっぱいですが、一方で、全国・全道からの参加者の皆さんと「つながり合える・学び合える」ことへの期待もいっぱいです。それでは皆さん、札幌大会でお会いしましょう!

(川原茂雄)

蕾の花が開く

 調理学校へ進学したいと思っていたAが「家の経済的な理由で就職にします」と言いました。「そうなの。大変なのね」と信じられないような表情をされたので、先生にはわかってもらえないんだなと思ったそうです。でも「いい先生なんだけど」とも言いました。
 諸事情で服の洗濯もせず、髪も不潔で、歯も磨かないBが実習の時間にひとりで作業することになりました。同じグループの生徒たちが先生に訴えたからです。実習の先生は担任に伝えたけれどもう動けません。担任もクラスで「くさい」と生徒たちから訴えがあり、被害を分散するための席替えをしたり、入浴し洗濯するように「優しく」指導してきたのです。
 生徒の置かれた状況を想像したうえで言葉がかけられない。だから何も聴けない。送っているメッセージは「あなたの家庭の問題だから」ということです。
 みなさんなら、こんなときどんな言葉で応答し、どんな対応を考え、誰に相談しますか。

 Bは苦しかった実習の後部活動に行くと、顧問の先生が「何かあったの」と聞きました。「みんなが私のことをゴミみたいな目でみるの」「その理由はあなたにもあるのよね。いっしょに洗濯しましょう」。こうしていくつもある校舎のうちで一番ひと気のない校舎の3階トイレで洗濯指導がはじまりました。その先生が担任に相談するとちょっと驚き「家でやることだから」と言いましたが、先生はそうっと洗濯指導を続けます。Bは家から洗濯ものを持ってきて、先生の支援を得ながら話ながら手洗いの洗濯を続けます。
 私もBのにおいはずっと気になっていました。だからあるとき「養護教諭のちからも借りて対応を考えませんか」と担任に話しました。そうして複数の先生で相談した後で、たまたま顧問の先生から洗濯指導の話を聞くことができたのです。以後、この顧問の先生も含めてBについての連絡会を開いています。その情報交換のなかで先に書いたようなことがわかってきたのです。
?立ち止まって「困っている生徒」のことを考える
?生徒の事実を共有する
これが私が特別支援教育の校内研修会で掲げた課題です。
これに?指導方針をたてる?生徒どうしのかかわりを育てることを視野に入れる?育つとか育てるとかがどういうことなのかも集団で振り返りつつ実践をすすめる
 ???が加わったら生活指導実践です。生活指導実践は「教師が指導するのではなく、教師が生徒たちと共々につくり出す生活が指導する」のです。
 このような実践が報告され、討論される札幌大会に期待してください。

 大会の準備をすすめてきた実行委員のみなさん、ほんとうにありがとうございました。あとは十分に膨らんだ蕾の花が開くだけです。 
 この応援ブログを管理してくださった安藤さんにも心より感謝いたします。

◆新しいサークル活動の模索の時代へ

 私たちの日常の教育活動はミクロ・マクロのレベルを問わずたいへんな状況が進行しています。その中で、自分の研鑽を積み、また教師としての矜持を保ちつつ多くの仲間・同僚とつながっていくことは大切なことです。それが、自分の居る職場・学校づくり、ひいては地域を変えていくという「大きな物語」につながっていけばなお意味あることと思いますし、そうした観点を常に持ちながら私自身はサークル運動や組合運動をしているつもりです。ですから、私にとってサークル活動は極めて重要な意味があります。何とか高生研を残していきたいという思いをもっています。 
 しかし、同時に、時代に合った形に変わっていくことも重要だと思います。成熟した社会の中で価値観が多様化(混沌)しています。特定の主義・主張あるいは指標をもとに、つながりと仲間を求めて行動してもなかなか受け入れられない事態もありますし、そのことで仲間を求めることに躊躇することもあります。「主義・主張や指標」に基づく行動が通らないことはもどかしいことですが、時代の趨勢でしょう。しかし、空理空論は意味のないことであり、やはり私たちは徹底したリアリズムの中から課題を見つけ出し、まずは課題を共有している多様な価値観をもつ人々との「熟議」の中で行動の指針をみつけることが大切なのだと思います。その意味でも、サークルは現場や地域の課題に対応したものである必要があります。そして、熟議が可能な身軽さをもつことも必要です。
 次に、全国高生研の組織をリアルにみれば、全国500人の会員の組織把握をする書記局体制を維持できない状況があります。2012年問題の発端はまずはここにあります。それは人と金の問題です。これまでの書記局を担っていただいた方々には本当に感謝の念でいっぱいです。時に、中央集権型組織にみられるように、提案された方針や議事をめぐって野党的に指弾したこともあったと思います。今思えば、いろんなご苦労を顧みていないところもあって反省するのですが・・・。それはともかく、中央組織を今までの形で維持することは、もう不可能であると腹をくくって、違う形で出直すべきだと思うのです。もちろん、全国組織の良い側面で残せる部分は残しながら、職場や地域の課題に即応し、サークル参加者が自らの居場所であるとともに内向きではなく、他者や外(職場・地域・社会)に開かれた新しいサークルの形をめざすべき時代に来ているのではないかと思います。

◆私なら大阪高生研と全国高生研をこう変える・・・。
 基本は早蕨6月号に出ているとおりです。記事に言う「地方の自立」とは、地域の実情やあるいは地方自治体の教育行政に対応した地方高生研がゆるやかに全国でつながっていくというイメージです。

1.大阪高生研指標を設ける
 大阪は全国的にみても貧困がすすんでいます。また橋下知事のもと競争と差別・選別の教育がすすんでいます。生徒はたいへんです。教職員相互の分断、教職員と父母・府民との共同が破壊されつつあります。そうした課題とこれまでの高生研運動・生活指導運動にそった研究指標やサークルの方針をもちます。(総会ではつねにやってますが・・・)

2.全国高生研連絡協議会指標
 地方の高生研が指標づくりのもとになるような指標。これまでの生活指導運動をふりかえり、また今後を展望するような指標(『高校生活指導』指標)をつくる。

3.大阪高生研会費を年額5,000円とし、早蕨会員は2,000円とする。
 全国会費は徴収しない。ここは重要なポイントです。財政はやはり組織の基本。思い切って全国会費は徴収せず、地方は全国分担金を負担する形にします。各地方は会員のために財政を使います。財政的自立は組織的自立と表裏一体です。

4.全国会費を徴収しないので全国通信は発行しない。地方高生研通信(B4版1枚)を適宜メールで配信する。各地方の会員は、全国を網羅するMLに登録。そのMLに乗せて、各地方通信を配信する(大阪の「遠足」通信のようなイメージ)。HPも廃止する。かわって交流集会応援ブログをつくる。

5.全国大会にかわって全国高生研研究交流集会とする。
 全国交流集会は、各地方高生研が単独あるいは、ブロック単位で現地実行委員会を組織する。
 近畿・熊本・沖縄・関東・静岡・三重(東海)・青森・北海道・・・

6.全国委員会にかわって、全国高生研研究交流集会全国実行委員会を年2回開催する。


  世話役の地方高生研あるいはブロックは持ち回りとする。
  地方高生研は開催にあたって分担金を出し、財政状況の悪い支部への補助を行う。



7.機関誌『高校生活指導』は年3回発行。地方高生研が分担する。
  『高校生活指導』指標をかかげる。

8.必要があれば、全国高生研連絡事務局を各地方持ち回りで担います。

まだまだ、自分でも熟していないですが、多くの方々と熟議をして深めたいと思います。