他者との危うい出会い

 私は1981年、奈良市で開催された第19回大阪大会以来ずっと高生研大会に参加してきた。大会参加の楽しみのひとつは後泊ツアーで、このとき群馬からの参加者10名は行きも帰りも団体行動だった。大会が終わって長谷寺の近くの宿に全員が泊まった。団体行動と後泊ツアーは群馬高生研のワザだった。私はその後更に、国鉄奈良駅で妻と待ち合わせて奈良少年刑務所を見学した。妻はそのとき少年院の法務教官だったので個人での見学の機会を得ることができたのだったと思う。
 1983年、前回の北海道大会のときは何と群馬から13名が参加したのだが、私は個人行動だった。大会前に札幌でレンタカーを借りて帯広、広尾、襟裳岬へと走った。襟裳岬の民宿を訪れると「4人の同室でいいですか」と言われ、お互いに一人旅をしている4人と同室になった。そのうちのひとりは確か関西の教員志望の男性だった。彼は電車で来ていたので様似という町まで来るまで送った。静内だったかなあ。それから大会開催地の定山渓温泉に向かった。
 昨年の大阪大会で一冊の本を買った。書籍販売担当のみなさん、たった一冊でごめんなさい。でもありがとう。「〈弱さ〉のちから〜ホスピタブルな光景〜」(鷲田清一)。「(哲学の言葉)その確かさはどこからくるのか。それはいまもって分からない。ただ、その確かさは、わたしたちのなかの規準に沿ってではなく、それを崩すもの、つまりわたしには見えてないもののほうからくるという思いだけは、ずっとあった」と述べる。この本はその「見えていないもののほう」へ出かけていって話を聴いた12本の記録だ。11番目に「順調です。」(べてるの家)という記録がある。「べてるの家」のことは上野千鶴子の「降りていく生き方」という本で知った。この施設は1984年に開設された。襟裳岬の近くの浦河町にある精神障害体験者やアルコール依存症などの人たちのグループホームと共同作業場だ。
 鷲田は「どうしてみんなで語りあうのだろうか。どうして「治さない」のだろうか」と書き、ここの勤務するほぼ私と同年のソーシャルワーカーから言葉を聴きとっている。
 私は来年の第48回札幌大会が終わったらここへ行ってみたい。必然から解き放たれて、他者との危うい出会いのなかで哲学する。これがきっと私にとっての高生研大会の魅力なのだろう。
 船橋聖一