札幌は定食充実都市!? 其の弐

観光地として、そして移り住みたい地としても憧れる人の多い北海道。中でも札幌の中心部は、整然とした区画に商業施設も充実していて大都市としての美しさがある。加えて農漁業も盛んな北海道の中心地ということもあって、新鮮な食材が豊富。海鮮メニューは勿論、ラーメン・ジンギスカンスープカレーご当地グルメの宝庫だ。
 これらはひとえに札幌人の食への関心の強さの賜物だろう。それを感じたのは札幌の古書店だ。地方に出かけて時間があるとき古書店を探すクセノある僕は、札幌の多くの古書店は食に関する本のコ−ナーが充実していることに気が付いた。例えば札幌駅近くにある「南陽堂書店」。紀伊国屋ジュンク堂や新刊書店でも地元の食に関する書籍が多い。
 食研究は特に札幌ラーメンが顕著だが、地元で愛され観光客もそれらを買い求めるために、益々充実度も深まるのだろう。

  札幌といえばやっぱり ラーメン

 今や国民食ともいうべきラーメンは研究者も多く、出版物も多い。とりわけ地方で出版されているご当地ラーメンの本は、地域の食事情や歴史を紐解く上で不可欠だ
 札幌ラーメンだと、1994年刊行の北海道新聞社編『これが札幌ラーメンだ』(北海道新聞社)というガイドブックがバイブルだ。この本に記された札幌ラーメンの歴史によると、その発祥は、北海道帝国大学の正門の真正面にあった「竹家食堂」だという。
 竹家は、最初はカレーライスなどを出すフツーの食堂だったが、ある日、室蘭の船員に連れられて王文彩という中国人の大男がやってきた。彼はハルビンで料理修行をし、ロシアで一軒の飯店をまかされていた。竹家には北大で学ぶ中国人留学生が頻繁に食事に出入りしていたこともあって、王は竹家に雇われることになった。王は厨房を改造、料理に腕を振るった。
 「ロースー肉絲メン麺」「五目麺」「肉絲炒飯」などの文字が壁に並ぶ。中でも細切り豚肉そばの「肉絲麺」が人気となった。客は「支那そば」と呼び、心ない客は「チャンそば」と王さんを蔑視した名称を呼んだ。心を痛めた店のおかみさん、大久タツは王さんが「ハオラー好了」といっているのを耳にし、ラーメンと呼ぶことにした。ハオラーメン、ハォラーメン…ラーメンということか!?引っ張って作る麺という意味で「拉麺」と字を充てたという。ラーメン(拉麺)の語源には諸説あるが、竹家のこのエピソードは1922年(大正11)のこと。
 当時、竹家で主に賄いを作ってもらっていた中国人留学生をはじめ、北大の学生はラーメンとすぐ呼ぶようになった。さすが学生は「食の革命家」。札幌ラーメンの隆盛には、食に対して固定観念を持たぬアヴァンギャルドな大学生の存在があったのだ。

大阪 中村貴彦