「厚岸での思い出」(その2)

福岡:押場
 平成21年4月より普通科の厚岸潮見高校と厚岸水産高校が統合され、調理師免許を
取得できるコースを配置した厚岸翔洋高等学校がスタートしたそうですが、当時の厚
岸水産高校は漁業と機関が一緒になった漁業・機関科と製造科の2クラスでした。大
学を終えてすぐ、大学の恩師から格安で譲っていただいた軽自動車に荷物を積み込ん
で、1日かかって厚岸に到着しました。私が3年間住むこととなる官舎の前で、初めて
お会いしたのがK先生でした。後に、手とり足とりさまざまなことを教えてくださり、
私が教員として出会った恩師第1号となるのですか、そのときは用務員さんとしか思
いませんでした。開口一番「ストーブは用意してないのかえ」。迂闊にも私は大学生
活、寮で過ごしたため寒さ対策のことは全く頭にありませんでした。というか完備し
てあるものだと勝手に勘違いしていました。早速寮にあった古いストーブを用意して
くださり、生命の危険を回避したのですが、「引っ越し荷物段ボール5箱で赴任した
人も初めてだねぇ」と言われ恥じ入ってしまいました。実は引っ越しには全教員がか
かわり、春休み期間の大イベントなのです。私が着いたときは、集まった教員が荷物
の少なさに唖然としてみんな帰ってしまったあとだったのです。
来る人去る人は、引っ越しの人にビール等を用意し、みんなは餞別を集め、なかなか
感動的な出会いと別れなのです (いまでもそうなのでしょうか) 。もちろん北海道を
去る時は猫1匹とともに、厚岸水産の教職員みんなに見送られ、涙の別れをしました。
 ともあれ教員生活が始まったのですが、なにしろ生徒の半分は漁師の息子のうえ、
新米教員はどんな奴かと待ち受けております。漁業の分野の一つでは教員よりも詳し
く、知らないと言おうものなら、くそみそにやっつけられます。そんななか、武器も
持たずに「素」の状態で向ったものですからたまったものではありませんでした。し
かし教員集団は非常にまとまっており、特に漁業のコースの先生方はみんなとてもあ
たたかく、たくさん助けていただきました。一番印象に残っているけれど、今の職場
でなかなかまねできないのが実習の研修でした。大学出たてなので、「網の修繕」作
業なんて使い物になりません。「カニ籠」やら、「刺し網」やらの漁具が作れるわけ
もありません。しかし、生徒は分かっているものとして意地悪く聞いてきたりします。
そんなわけで、漁業コースの先生たちは、わざわざ私のために、夜7時〜8時ごろ、つ
まり家族の団欒を一区切りつけて、ぞろぞろ学校に集まってきてくれるのです。そし
て実習の研修が始まるのです。そこではさまざまな雑談が展開されますし、当然私の
悩みも聞いてくれます。そのあとはお決まりの飲み会です。ここで身に付けた実習の
内容はそっくりコピーして福岡に持ってきました。実務の分野ではこの経験が非常に
役に立ったことは言うまでもありません。
 そんなこんなでいま、福岡水産高校にいるのですが、私の水産教育の原点は「厚岸
水産」であることは間違いありません。この経験がなければ「福岡水産」でくさって
いたことでしょう。今回の北海道大会で元の職場の同僚に会えることを夢見て、でき
る範囲で誘っていきたいと思っています。